日本人選手も大活躍!いま大注目の車いすテニスとは
錦織圭選手や大坂なおみ選手をはじめ日本人選手の活躍もあり、これまで以上に「テニス」というスポーツが注目されています。テレビ中継やニュースになるのはシングルスの試合がメインではありますが、ダブルスでも男女ともに日本人選手は成績を残しています。
そうした中でも、日本人の活躍も相まって、ここ数年で注目度が高まっている種目があります。それが「車いすテニス」です。
車いすテニスとは
車いすテニスとは、文字通り「車いす」で行うテニス競技です。
最近は障害者スポーツも盛んになり、障害のある方でもいろいろなスポーツをされています。オリンピックとともに行われるパラリンピックも定着しましたが、障害者スポーツの大会はいろいろな種目が行われています。車いすテニスもその一つ。ATPやWTAと同じように、国内・海外で大会が開催されています。そして、国際大会でも常に優勝を争うほどの実力者が日本にいるのです。
スポーツ用の車いすは普段目にするそれとは全く異なり、競技や選手によって様々な工夫が施されています。主な違いは、背もたれがないこと、タイヤに角度がついていること、タイヤが細いこと、転倒防止の小さな補助輪が付いていることなどです。さらに、体格や障害の状態などに合わせてカスタマイズされています。
車いすテニスは車いすのタイヤを手で操作(チェアワーク)しながらボールを追いかけ、ラケットを振ってボールを打ちます。かなり難しいことだろうと想像できますが、そう感じさせないような一連の動きのスムーズさ、チェアワークの軽快さ、車いすでコート内を俊敏に動き回るスピード感など、「テニス」とはまた違う魅力があるのです。
なお、車いすの表記は「車いす」「車椅子」「車イス」とありますが、テニスで使われるのは「車いすテニス」と、「いす」をひらがなにするのが正しいようです。
車いすテニスの歴史
車いすテニスの歴史はまだ浅く、1976年にアメリカの選手ブラッド・パークスによって、車いすの改良とともに競技スポーツとしてのテニスが始まりました。1980年、車いすテニスの全米オープンが開催されます。その後、ヨーロッパへも広まっていきました。
日本の歴史としては、1983年にホノルルマラソンに車いすで出場した選手が現地で体験した車いすテニスを日本に持ち込んだことがきっかけと言われています。その2年後の1985年には、「ジャパンオープン(飯塚国際車いすテニス大会)」が開催されました。
1988年に「国際車いすテニス連盟(IWTA)」が設立されましたが、1998年には「国際テニス連盟(ITF)」に統合されています。それにより、グランドスラムなどが車いすテニスも共催で行われるようになりました。
グランドスラムで車いすテニスも開催されるようになったのは、1989年の全豪オープンが最初です。車いすテニスで現在の4大大会がグランドスラムとなったのは、ルールが改正された2009年から。パラリンピックでは、1988年のソウルパラリンピックで公開競技となり、1992年のバルセロナパラリンピックで正式種目となりました。
車いすテニスのルール
コートの大きさやネットの高さなどは変わりませんが、車いすテニスならではのルールもあります。以下のルールが守られていないと失点となります。
2バウンドまで
車いすテニスでの大きな特徴といえば、2バウンドまでOKという点です。1バウンド目がコート内に入れば、2バウンド目が外側に落ちてもプレーは続行です。
テニスは1バウンド目で取れなければポイントを失いますが、車いすテニスの場合は2バウンドで返球すればいいのです。ただし、2バウンド目はコートの外側まで追いかける必要もあります。もちろん、ノーバウンドでの返球もあります。
サーブを打つ前に静止
サーブをする前は、サーバーは静止しなければなりません。しかしその後で、車いすを一押ししてからボールを打つこともできます。
サーブのときはベースラインを踏んだりまたいだりできません(フットフォルト)が、車いすテニスにもそのルールがあります。車いすは身体の一部とみなされるので、サーブのときに車輪がベースラインに触れてはいけません。
自分でトスを上げられないクァード(以下で説明)の選手は、他の人がワンバウンドさせたボールを打ってサーブできます。ただし、試合中は同じ方法でサーブしなければなりません。
その他
車いすは身体の一部という判断なので、ボールが車いすに当たった場合は失点となります。
試合中はラケットを持っていない手でタイヤを操作しているのですが、車いすを足で操作することは禁止されています。つまり、方向転換させたりブレーキをかけたりする際に、足でタイヤを止めたり地面に足を着けたりということができません。ただし、手でタイヤを操作して車いすを動かせない選手は、片足のみなら使ってもいいとされています。
なお、ボールを打つときには認められません。あくまでボールを追いかけているときだけです。また、ボールを打つときは、両方の臀部を浮かせてはいけません。
車いすテニスのプロツアー
車いすテニスの試合は、先述したグランドスラム以外に、世界各地で120以上の大会が開かれています。国別対抗戦もあります。
種目
車いすテニスは「男子」「女子」「クァード」とクラス分けされており、それぞれにシングルスとダブルスがあります。
クァードとは、足だけでなく、手にも障害のある人が出場するクラスです。通常の状態だとラケットが持てないため、ラケットのグリップ部分と手をテーピングで固定して試合をします。車いすの操作が困難な場合は、電動の車いすを使用します。電動といえどコントローラーの操作は必要で、巧みに操りながらプレーします。
クァードクラスは男女を問わず、ダブルスでは男子と女子が組んでもかまいません。グランドスラムは車いすテニスもありますが、クァードはクレーやグラスでは負担が大きいとのことで、ハードコートの全豪と全米しか開催されません。
大会グレード
車いすテニスの大会は賞金額や大会施設の質、ホスピタリティに応じて6つにグレード分けされています。ホスピタリティとは、ホテルや食事の質、選手の送迎などが関係しています。
グレードが最も高いのは、全豪・全仏・全英・全米のグランドスラム。2009年に、車いすテニスも開催されるようになりました。グランドスラムに出場できるのは、世界ランキング7位以上とワイルドカード1枠の8名のみ。3回の勝利で優勝できますが、その分、初戦から厳しい戦いが強いられるのです。クァードは4名しか出場できません。
グランドスラムの次のグレードは、「スーパーシリーズ」です。日本で最初に開かれた車いすテニスの大会「ジャパンオープン(福岡県飯塚市)」がここに含まれます。
以下、「ITF1シリーズ」「ITF2シリーズ」「ITF3シリーズ」「ITFフューチャーズシリーズ」とあります。日本国内でも、いくつかの大会が行われています。
ATPやWTAと同じように、男女ともにシーズン最後にトップ選手だけが出場できる大会があります。「マスターズ」と言われるものです。全米オープン終了時、世界ランキングが8位までの選手が出場します。
日本人選手が大活躍
日本の車いすテニス界は以前より、上位ランキングの選手を輩出しています。2020年現在、常にランキングトップを維持し、世界大会で安定した強さを見せる日本人選手がいます。それが、女子の上地結衣選手と男子の国枝慎吾選手です。
上地結衣選手
常に上位をキープしている上地結衣選手は、明るい笑顔と強烈なレフトハンドでのプレーが印象的です。
先天性の潜在性二分脊椎症で車椅子を使用するようになりました。車いすテニスは11歳から始めましたが、なんと14歳で史上最年少で日本ランキング1位となりました。
高校3年生で初出場したロンドンパラリンピックでは、シングルス・ダブルスの両方でベスト8へ進出しています。2014年には、全仏と全米オープンでシングルス・ダブルスともに初優勝を飾りました。その年、世界ランキング1位を獲得しています。同じ年の全豪と全英(ウインブルドン)ではダブルスで優勝しており、年間グランドスラムを達成しました。日本人女子選手初、女子車いすテニス最少年の年間グランドスラムです。まだ若い彼女はこれから何度も優勝して、輝く笑顔を見せてくれるでしょう。
国枝慎吾選手
グランドスラムの車いすテニスで、男子世界歴代最多優勝の記録を持つ国枝慎吾選手。あのロジャー・フェデラーも一目置く強さを誇ります。
国枝選手は9歳の頃、脊髄腫瘍によって車いす生活となりました。車いすテニスは母の勧めだったようです。高校1年生で海外を経験したことで、本格的に取り組むようになります。
2004年のアテネパラリンピックのダブルスで優勝。以降のパラリンピックでは毎回、メダルを獲得しています。そして、2006年には世界ランキング1位となります。2007年は、当時の4大大会(全豪オープン、ジャパンオープン、ブリティッシュオープン、全米ウィールチェア)を制覇して年間グランドスラムを達成しました。その後、グランドスラムで優勝を重ねていき、偉大な記録を打ち立てたのです。
2022年には、全英オープン(ウインブルドン)シングルスで初優勝し、キャリアグランドスラムを達成しました。今後も長く車いすテニス界を牽引し、記録を更新し続けてくれるに違いありません。