テニスの歴史をわかりやすく解説

2021-03-15更新
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監修
ゴンちゃん
テニスベア・アンバサダー
慶應義塾大学ではレギュラー2番手として、全日本学生テニス選手権大会や全日本大学対抗テニス王座決定試合で活躍。卒業後はYouTuberとして活躍し一躍有名に。2020年12月よりテニスベア・アンバサダーとしてテニスベアに参画。

今では定番の人気競技となり、世界中で親しまれているスポーツ、テニス。しかし、その歴史や詳しい語源はご存知のない方もいらっしゃるのではないでしょうか。

この記事では、詳しいテニスの歴史やルール、語源までをわかりやすく解説していきます。

テニスの起源

テニスの起源

紀元前の古代エジプト

テニスの歴史は、紀元前のエジプトで、数人が集まって球を打ち合う行為から始まりました。その様子を描いた壁画がエジプトに残されています。

ただし、当時のそういった行為は、現在のようにスポーツや娯楽ではありませんでした。その行為自体が、宗教的な意味を持って行われていたと考えられています。

11〜14世紀のフランス

11~12世紀、フランス修道院の回廊で、貴族が手のひらや手袋を使い球の打ち合いを楽しんだと言われています。これが、現代のテニスに直接つながる原型です。

14世紀にフランス王ルイ10世もテニス愛好者として知られています。相手に負けまいと全力を尽くした結果、身体を壊したとする詩が残されているほどです。

テニスへの発展

テニスへの発展

ジュ・ド・ポーム(リアルテニス)

16世紀になると、テニスに似た娯楽は盛んに行われるようになります。その行為はジュ・ド・ポーム、フランス語で(手のひらの競技)と呼ばれ、王宮貴族の遊戯として楽しまれるようになりました。しばらくして手のひらの代わりにラケットが使われるようになりましたが、それ以降もこの名称が使われ続けられています。

テニスの語源

ジュ・ド・ポームでは、攻守交代の際にサーバーが「トゥネス」、フランス語で「(ボールを落とさずに)取ってみろ」という意味で使ったことが語源だと言われています。ちなみに、現代フランス語では「トゥネ」と発音します。

その後ジュ・ド・ポームはイギリスに伝わり、全盛期を迎えました。イギリスではこの遊戯をテニスと呼ぶようになります。イングランドの詩人ジョン・ガワーが1,400年頃に著した『平和礼賛』の一節で、テニスという言葉が使われているのが、最古の文献として知られています。

ちなみに、その後現代のテニスの別称としても知られる「ローンテニス」が誕生していこう、イギリスではそれまでのジュ・ド・ポームを「リアルテニス」と呼ぶようになりました。現在でもこのリアルテニスは一部地域でプレーされています。

近代テニスへの発展

近代テニスへの発展

その後、テニスはイギリスで発展を続け、1505年には初となる国際試合が行われました。それ以降、世界各地でテニスコートが次々に建設され、本格的な競技目的スポーツとして世界中で普及していきました。

ローンテニス

1873年の12月に、ウォルター・クロプトン・ウィングフィールド少佐が編み出した、スフェリスティキ(=スティッキ)というスポーツがローンテニスの始まりです。スフェリスティキとは、球戯術を意味します。

ネットを挟み、現代のソフトテニス(軟式テニス)のボールのようなものを打ち合う、まさに現代のテニスと同じような競技です。また、ネットやラケットなどをセットで販売をし、芝生の上であれば楽しむことの可能な持ち運びのできるテニスとも呼ばれていたようです。

ウィンブルドンをはじめとした四大大会が設立

ウィンブルドンをはじめとした四大大会が設立

ウィンブルドン選手権が初開催

そして1877年、ローンテニスが誕生してわずか5年ですが、イギリスのロンドンで、アマチュアの大会として第1回目となる、ウィンブルドン選手権が開催されました。第一回大会は、会場の老朽化したローラーを新しくするための資金集めが目的だったと言います。

ちなみに、第一回の種目は男子シングルスのみで、22人のアマチュア選手が出場しました。その後1884年に女子シングルスが初開催されましたが、初代優勝者となった地元選手モード・ワトソンが白いウェアで統一していたことが、現代でも踏襲されているウィンブルドンの慣習の始まりと言われています。

アメリカでの基準統一

そして1881年、アメリカで創立されたアメリカ国立ローンテニス協会(現・全米テニス協会)が、規定を統一化し、テニスをさらに構造化しました。また、同年には全米オープンの前身となるアマチュア大会の第1回が、アメリカのロードアイランド州ニューポートで開催されます。

テニスと言うと、どうしてもウィンブルドンをはじめとしたヨーロッパでの歴史があるスポーツと思われがちですが、それは近代テニスまでの話です。むしろ現代につながる歴史では、アメリカが大きな役割を担っています。

日本での歴史

日本での歴史

日本へ伝来

日本への伝来について、決定的な文献は現在までに発見されていません。その中でも、東京高等師範学校(現・筑波大学)で、当時の米国人教員だったリーランドが、テニスの道具を本国から取り寄せたのが最初、というのが、もっとも有力な説とされています。

そして1886年、リーランドの通訳を務めていた教授の坪井玄道の指導により、ローンテニス部が設けられました。これが日本のテニス人口拡大に大きく寄与したと言われています。

当時のテニスに必要な道具は、輸入に依存していた上に、とても高額でした。そのため、当初はおもちゃ用のゴムまりを利用していました。

その後、同年に創設された三田土ゴムへ国産ゴムマリの生産を依頼し、以後、日本ではゴムマリを使ったソフトテニスが広まったと言います。現在も中学校や高校でソフトテニス部が多いのは、こうした歴史的背景が大きく影響しています。

こうして、硬式テニスは、一部の人の間で続けられることとなりました。

国際大会での日本人選手の活躍と硬式テニスの普及

当時日本には軟式テニスプレーヤーしか存在していませんでした。しかし、世界では当たり前のようにテニス(硬式テニス)が行われていました。

慶応義塾大学は「軟式では国際交流ができない」と奮起し、1913年に硬式を採用しました。同年12月にマニラの東洋選手権に遠征した。軟式から転向して間もない選手ばかりでしたが、その中のひとり熊谷一弥は準決勝進出という快挙を達成します。軟式の技術が硬式に十分通用することを証明しました。

そして全国の学校が次々と硬式テニスの採用を始め、日本にもようやく硬式テニスの時代が到来します。

デビスカップでの活躍

その他、佐藤次郎、山岸二郎、原田武一と多くの名選手が硬式テニス界で活躍し始めます。
当時彼らは、軟式テニスで培われたドライブを駆使した、世界の中では独特な戦法で有名となりました。

1920年代前半から1930年代後半まで続いた日本テニスの黄金時代を築き、先駆者となりました。デ杯ではそういった選手が活躍。並み居る強豪国を破り、前年の優勝国と杯を懸けて戦う実質的な決勝戦に進出するほどの実力でした。

戦後のテニスブーム:ミッチーブーム

1958年から翌年の1959年にかけて、当時の明仁皇太子殿下と、のちの皇太子妃となる正田美智子様のご成婚により、ミッチーブームという社会現象が起こりました。

軽井沢でのテニスからご成婚へと至った事実が有名になり、全国各地でテニスコートの増設や整備が行われることとなりました。これが、戦後初のテニスブームです。こうしてテニスは着実に定着し、現代に至ります。

錦織圭や大坂なおみの登場

そして現在、技術の進化やスポーツ科学の発展により、テニス界はとてもハイレベルな次元に突入しています。そんな中、日本テニス界を支える男女ふたりの日本人が、再びテニス人気の火付け役となっています。

錦織圭は世界のトッププロと比べて小柄ながら、安定したバックハンドを中心に持ち合わせたセンスでテニス界をリードする存在です。そして大坂なおみは若くしてその豪快なプレースタイルで全米オープンのタイトルを獲得しました。またそのチャーミングな性格も人気を博し、現在のテニス人気を支えています。

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